中津《なかつ》の町《まち》からでていきたい

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 ところが、封建制度《ほうけんせいど》というものは、ながいあいだにきずきあげられたものですから、ちっとやそっとの力《ちから》でくずれるものではありません。そのころの日本《にっぽん》は、どの土地《とち》も、このふるいおきてでおさめられていましたが、とりわけ、九州《きゅうしゅう》のいなかである中津《なかつ》は、それがつよいのでした。 ですから、この町《まち》をとびだして、すこしでも自由《じゆう》なところにいかなければ、一|生《しょう》、このままでおわってしまう、と諭吉《ゆきち》はしみじみとかんがえるようになりました。 兄《にい》さんの三之助《さんのすけ》は、お父《とう》さんのあとをついで、下《した》っぱの役人《やくにん》になっていました。いとこたちも、仕事《しごと》についているものは下《した》っぱの役人《やくにん》ばかりでした。三、四|人《にん》あつまると、身分《みぶん》のたかい家《いえ》のむすこが、たいした力《ちから》もないのに、よい役《やく》についていばるとか、自分《じぶん》たちは、力《ちから》があっても、どうにもならぬのだ、とふへいをもらしあいました。 諭吉《ゆきち》も、そのふへいにはおなじ思《おも》いでしたが、ぐちのいいあいになったのでは、いみのないことだとおもいました。そこで、こういうのでした。「まあ、そんな話《はなし》はやめようじゃありませんか。この中津《なかつ》にいるかぎりは、なんべん、そんなことを、ぐずぐずいっても、役《やく》にたちませんよ。ふへいがあったら、でていくことですね。でていかないのなら、ふへいをいったってはじまりませんよ。」「いったな、諭吉《ゆきち》。ばかに大《おお》きな口《くち》をきくではないか。それなら、きみは、中津《なかつ》をでていくというのか。」「さあ、それは、なんともいえませんがね。」

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